1965~1971年
0~5歳
幼少時代
1972~1974年
6~8歳(幼稚園~小2)
ヤマハ音楽教室「幼児化」時代
1975年
9歳(小3)
ブランクの1年
1976年
10歳(小4)
ヤマハ音楽教室「ジュニア科」
&ヤマハエレクトーン教室時代
1977~1980年
11~14歳(小5~中2)
ヤマハエレクトーン教室時代
1977年
11歳(小6)
小学校作曲コンクール入賞
1980年
14歳(中2)
ヤマハエレクトーン教室をやめる
塾のため
1980年~1984年3月
14~18歳(中3~高3)
習いに行くのをやめてから
1984年1月~3月
18歳(高3)
大学受験
1984年3月
18歳(高3)
東京へ
※エレクトーンの思い出の曲
1.日本の曲
2.世界の曲
聴いていた音楽の変遷
1965~1977年
0~11歳(0歳~小5)
子どもの頃聴いていた音楽
1978~1981年
12~15歳(小6~中3)
ラテン音楽を聴いていた頃
1981~1982年
15~17歳(中3~高2)
デキシー音楽を聴いていた頃
1982年
17歳(高2)
ベニー・グッドマンをテレビで見る
ジャズの始まり
1982年
17歳(高2)
「ジミー・スミス」ショック
ジャズオルガンの始まり
1983年
17歳(高3)
「ジャイアント・ステップス」ショック
1983年
17歳(高3)
オスカー・ピーターソンをテレビで観る
1965~1971年
0~5歳
幼少時代
幼少の頃、家に電気オルガン(足踏みじゃないやつね)があり、よく遊んでました。そのころから音楽に興味があったんでしょうね。
1972~1974年
6~8歳(幼稚園~小2)
ヤマハ音楽教室「幼児化」時代
幼稚園だったか小学校1年生だったか、ヤマハの音楽教室の幼児科に習いに行かされます。もちろんこの頃は習い事に行きたいなんて思いません。あまり気がすすまない中行ってたと思います。周りの同い年の友達たちも一緒だったんですが、当然男子たちは、1人やめ、2人やめ・・・結局男は私だけになってしまいました。それでもなんとか私は続けたんですね。
小学校の低学年の頃だったでしょうか。結局ヤマハの幼児科(児童科?)はちゃんと卒業してしまいました。いやあ、これで終わった、と思っていたんですけどね。
1975年
9歳(小3)
ブランクの1年
ヤマハの音楽教室を卒業してからの約1年間は、何もしてませんでした。
1976年
10歳(小4)
ヤマハ音楽教室「ジュニア科」
&ヤマハエレクトーン教室時代
親や周りに、
「あんたはやめるのはもったいない。」
ってことで約1年のブランクの後、ヤマハの音楽教室のジュニア科に習いに行かされます。またです。
ジュニア科の同じクラスには、女の子が7、8人いて、男は私1人だけでした。まだ小学生です。いやだったですね。
幼児科ではみんなで教室で電気オルガンを使ってやるんですけど、ジュニア科ではみんなでの教室のレッスンとは別に、ピアノをやらなければなりませんでした。私はピアノをやるのがいやでした。なぜかというと、
「鍵盤が重い」
から。小さい頃から電気オルガンしか弾いてなかった私は、ピアノのタッチは重すぎていやだったのです。
これが理由で、同じジュニア科の中で私だけ、ピアノの代わりにエレクトーンにすることにしました。これでエレクトーンを始めることになります。
さあところがたいへんです、エレクトーンってのは。今まで両手だけだったのに、いきなり両手両足を使います。左足は足ベース、右足はボリュームペダル。ある程度の機種になると「右ひざ」に「ニーレバー」ってのもあります。これは病気です。
「全身性楽器症候群」
です。・・・しかし慣れってもんは恐ろしいですね。だんだんエレクトーンのほうがおもしろくなってきました。
1977~1980年
11~14歳(小5~中2)
ヤマハエレクトーン教室時代
小学校高学年の時だったと思います。すでにヤマハ音楽教室のジュニア科のほうではヤマハのグレード9級をとってましたが、そのころはもうエレクトーンのほうがおもしくなってなっていました。そしてエレクトーンだけにしようと思い、ジュニア科は途中でやめてしまいました。そのままエレクトーンは続けました。
エレクトーンは順調に続けました。
そして中学2年の時にヤマハのグレード6級をとりました。
1977年
11歳(小6)
小学校作曲コンクール入賞
小学校6年生の時です。北九州市の八幡西区の小学校の間で作曲コンクールがありました。1つの小学校からは5人が出場します。別に私は出たくなかったんですが、先生のすすめなどもあって出ることに。5人中、男は私の1人だけで残りの4人は女子でした。女に混じって男が作曲コンクールに1人だけ・・・いやだったですね。内容は、コンクール会場で詩をもらい、その場で曲を付けるというものでした。タイトルは「遠足」で「今日は遠足うれしいな、・・・」という詩でした。
あまり気がすすまなかったので、結果はどうでもよかったんですけど、後に入賞の知らせが・・・それも入賞したのは私の小学校では私1人だけでした。これはたいへんです。学校では区や市で何かに入賞すると、全校集会で校長から賞状を渡されます。もっと他のことで賞状をもらうのならいいんだけど、男が作曲コンクールで賞状なんて・・・。それに作曲したんだからモノがあるはず・・・ってことでクラス全員で歌うことに、さらに私が指揮をすることになってしまいました。
そして全校集会で校長から賞状をもらい、体育館のど真ん中で私の指揮でクラス全員で私の曲を合唱しました。とても恥ずかしかったです。
1980年
14歳(中2)
ヤマハエレクトーン教室をやめる
塾のため
中学2年の終わりです。次の年、中学3年は高校入試があります。高校は、行ければ地元の高校「東筑高校」に行きたい。
「名門東筑高校へ」
自分で言うな!・・・んーん、でもこれは本当なんです。今はどうか知りませんが、当時福岡県の三大名門高校といえば、福岡の「修猷館」、小倉の「小倉高校」、八幡の「東筑高校」です。そうそう、ベースの大坪寛彦さんやテナーの田中邦和くんは東筑高校出身なんですねぇ。クラリネットの谷口英治くんは小倉高校出身なんですねぇ。関係ないけどあの俳優の高倉健さんも東筑高校の出身です。・・・理科大っていえば「楠田枝里子,」さんがいますねえ・・・
まあそんなこんなで、高校入試対策のために私も「塾」というものに行き始めます。
このためエレクトーンは中学2年いっぱいで習いに行くのをやめました。ヤマハのグレード6級です。ちなみに5級をとると講師5級の受験資格が与えられ、講師5級をとるとヤマハでエレクトーンの先生ができます。5級と6級では格が違うのです。まったくおしいところでやめてしまったもんです。
中学3年以降は音楽関係は習いにいってません。ジャズも独学です。
1981年~1984年3月
14~18歳(中3~高3)
習いに行くのをやめてから
エレクトーンを習いに行くのをやめてからは家でたまに知ってる曲を弾く程度でした。
そしてめでたく東筑高校に合格しました。
高校では芸術の時間があって、書道・美術・音楽の3つのうちから1つ選択するんですが、私のような場合、当然音楽を選択すると思われるのですが・・・これが書道なんですね。まあ習字も習いに行ってた時期があったのはあったんですけどね。音楽のほうが絶対いい点数とれるのに・・・ひねくれもんです。
エレクトーンは相変わらずたまに弾く程度でした。新しい譜面を買ったりとかもしませんでした。この状態だったら音楽は趣味程度で終わったと思うんですけどね。
1984年1月~3月
18歳(高3)
大学受験
高校3年、大学受験です。私は地元の北九州付近の大学でいいんです。
九州の大学といえばまず旧帝国大学の、
「九州大学」
九大です。高校での成績はまあまあだったので、なんとか九大へ行ければ言うことなしです。
私は高校では理系のクラスにいました。その中でも激しく理系でした。いや、私の頭に文系はなかった。数学100点、物理100点、化学100点、英語50点、地理10点、日本史10点、
「社会10点」
「こくご0点」
ってなもんです。
当時国立大学に入るのには共通一次試験というものがありました。全科目受けなければなりません。要するに全科目ある程度いい成績じゃないと入学させんぞ~ってことです。大学を決めるのは共通一次の後で大丈夫です。九大のつもりで、いざ共通一次を受けて、新聞に載っていた回答で点数を出すと、
「だ、だっ、だめちん・・・」
(T_T)
やっぱり、
「こくご」と「しゃかい」
がぢゃましてます。しかも予想外にひどい。これじゃ九大は無理です。といって浪人はしたくない。
国立大学の中にはあまり共通一次を重要視しない大学もありました。調べてみると東京工業大学がありました。しかし私にとってはちょっとレベルが高すぎる。といっても九大は二次試験がいくらよくてもだめだろうし。地元の他の大学は・・・やっぱりどうせ行くなら九大がいいしなあ・・・。
迷ったあげく、東工大を受けることにしました。しかし落ちる確率は高いです。浪人ってのはいやだしなあ。すべり止めでどっか受けといたほうがいいか?
でも私立大学の理系なんか学費が高いしなあ・・・。
調べたあげく、学費の安い東京理科大学をすべり止めで受けることにしました。理学部の物理科と応用物理学科の2つです。
試験は国立の二次試験より私立のほうが先です。東京理科大学を受験しに父と一緒に東京へ行きます。初めての東京です。新幹線で6時間半、疲れます。横浜あたりから急に雰囲気が変わります。はぁ~、東京って都会ですね。北九州の田舎とは全然が違う。受験も無事終わり、都会を痛感しながら帰りました。
数週間後、2学科とも補欠合格通知が来ました。補欠といっても合格は合格です。これで少なくとも私の東京暮らしは決定しました。
次は本番の東工大受験です。今度は1人で東京へ行きます。また新幹線で6時間半。疲れます。2回目の東京は、少し見慣れたとはいえ、やっぱり都会ですね。受験も無事終わり、帰りました。
結果は、・・・やはりだめでしたねえ。無理しましたねえ・・・いや、無理したんじゃない。すべては共通一次がいけないのです。これさえなければ・・・まあそんなこと言ってもどうしようもありません。
合格したのは理科大の2学科だけです。どっちでもよかったんですが、パンフレットを見て応用物理学科に決めました。これで私の「東京理科大学 理学部 応用物理学科」への進学が決定です。それに、まったく予想もしなかった東京での1人暮らしが決まりました。本当は九大でのんびりジャズをやってたと思うんだけどなあ・・・
1984年3月
18歳(高3)
東京へ
ジャズを聴き始めて2年、ジャズオルガンを始めて1年半。これで東京へ行くことになります。
聴いていた音楽の変遷
1965~1977年
0~11歳(0歳~小5)
子どもの頃聴いていた音楽
私は子どもの頃から聞く音楽が変わっていました。歌が好きでなく、音楽の時間もリコーダーとかはいいんですけど歌が嫌いだったです。それでも小学校低学年ぐらいまではまだ普通でした。
いつからか家にロシア民謡のレコードがあってこれをよく聞いてました。カチューシャ、カリンカ、トロイカ、モスクワ郊外の夕べ、なんかが好きだったです。
1978~1981年
12~15歳(小6~中3)
ラテン音楽を聴いていた頃
ある時、親と一緒に村田英雄のコンサートを見に行ったんですが、その時のバックバンドが「有馬徹とノーチェ・クバーナ」で「マンボ・ジャンボ」を演奏をしていました。これにとても感動したのです。私の長いラテン音楽好きの時代が来ました。早速ラテン名曲集なるテープを購入。なぜか当時私はレコードではなくカセットテープを買ってました。
ラテン音楽好きの時期は結構長かったです。いろいろ好きでした。マンボ・ジャンボ、タブー(加藤茶のあれね)、ブラジル、セレソ・ローサ、ピーナッツ・ベンダー、グラナダ、マンボ・NO.8、エル・クンバン・チェロ、ティコ・ティコ、シボネー、マイアミ・ビーチ・ルンバ、闘牛士のマンボ、マンボ黒馬・・・いっぱいあります。なぜか超有名なマンボ・NO.5やボサノバはそんなに好きじゃなかったですね。好きなバンドはどちらかというと本物のラテンバンドではなく、オーケストラのほうでした。パーシー・フェイス楽団、ジェームス・ラスト楽団、ルンバのザビア・クガート楽団、そしてマンボの王様、ペレス・プラード楽団なんかです。日本のラテンバンドといえば私が見に行った「有馬徹とノーチェ・クバーナ」と「見砂直照と東京キューバン・ボーイズ」、この2つで決まりです。よく聴いてました。
また中学校に入ったころ、クラシックにも興味がありました。ビバルディ の「四季」やビゼーの「アルルの女」などのテープを買ってました。やなやつです。
今考えると、エレクトーンで習ってた曲と自分の好みとはあまり関係なかったみたいです。
1981~1982年
15~17歳(中3~高2)
デキシー音楽を聴いていた頃
中学生のある時、テレビで「園田憲一とデキシー・キングス」の演奏を見ました。それまで見たことのない演奏です。なんか派手な衣装でそれぞれが好き好きに楽しそうにやってる姿がとてもよかった。私の好みはデキシーへと変わりました。世界は日の出を待っている、ザッツ・ア・プレンティ、タイガー・ラグ、などが好きでした。このころは周りは「アイドル真っ盛り」か「ギター野郎」です。中学生がデキシーを聴いてるなんて・・・いったいナニもんでしょうか。
1982年
17歳(高2)
ベニー・グッドマンをテレビで見る
ジャズの始まり
高校生になります。ある時テレビでベニー・グッドマンの演奏を見ました。バンドはみんなタキシードを着てテンポの速いアバロンを演奏しています。
「ん?これはデキシーか?」
違う。似てるけどデキシーとは違う。もっとシャレてます。品行高いです。
「なんじゃこの音楽は?」
デキシーみたいに派手じゃないし、クラシックみたいに堅くないし、みんな楽しそうにやってる。なんといういい音楽でしょう。親に聞いたところ、
「ジャズっていえば
『ベニー・グッドマン』
っていって昔からねえ・・・」
そうか。ベニーグッドマンかぁ、アバロンかぁ。
早速アバロンの入っているベニー・グッドマンを探しにレコード屋へ・・・ありました。日本で1980年から何年かやってたオーレックス・ジャズ・フェスティバルのレコードです。毎年4グループ来日してましたが、この第1回目の第1グループがベニー・グッドマンだったのです。
これで私にベニー・グッドマンの時代が来ました。
1982年
17歳(高2)
「ジミー・スミス」ショック
ジャズオルガンの始まり
ベニー・グッドマンでジャズというものを知った私は、NHK-FMでやっていた「ゴールデン・ジャズ・フラッシュ」という番組を聴くようになりました。オーレックス・ジャズ・フェスティバルのライブ録音も流していました。
この日もこの番組を聴いていました。ラジオから流れます。
「ジャズオルガンのジミー・スミスの演奏で、曲はジェイ・マクシャンのブルース、ジャンピン・ザ・ブルースです。」
もちろんジミー・スミスなんて名前は知りません。ジャズオルガンとかハモンドとかも知りません。
「ををを???」
「これはエレクトーンか???」
でもオルガンって言ってたな。それにしてもなんぢゃこの演奏は?!
「うますぎ!カッコよすぎ!」
「エレクトーンなら1級以上・・・」
「初段じゃ!(そんなものありません)」
これはショックでした。エレクトーンとハモンドオルガンは似てます。出てる音が違うだけと言ってもいいぐらいです。似てるだけにこの演奏はとてもショックでした。過去にエレクトーンの先生たちの演奏会を見たり、東京からエレクトーンで有名な人が来て見に行ったこともあります。ジミー・スミスの演奏はそれまで聴いたどのエレクトーンの演奏ともケタが違う。すごすぎる。カッコよすぎる。この演奏をテープに録音していた私は、その後何百回聴いたことか。
そして、私のエレクトーンの復活です。エレクトーンでやってた曲なんかどうでもいい。
「ジミー・スミスみたいに弾きたい」
もうこれしかありません。といってもエレクトーン6級程度がいきなりジミー・スミスのコピーなんかできるわけがありません。
楽器屋へ行き、ソノシートが付いたエレクトリック・オルガン入門の楽譜を購入しました。内容は簡単なジャズ理論とジミー・スミスやそれ以外の有名なジャズミュージシャンのコピー譜です。
「難しい難しい難しい難しい・・・」
ジミー・スミスも難しいですが、他はサックスやラッパのソロとかですからね。ハービー・ハンコックも載っていましたがそんなの出来るわけがありません。ポピュラー音楽のテーマしかやったことのない人にジャズのソロのコピーなんて無理です。それに、あの足ベースはなんなんでしょうか。なんであんな速いテンポの4ビートで足が動くのでしょうか。信じられません。
まあ私はミュージシャンを目指してるわけじゃないのでのんびりやりましょうね・・・少しずつですが弾けるようになりました。足ベースも少しずつ動くようになりました。
1983年
17歳(高3)
「ジャイアント・ステップス」ショック
しばらくはオルガン入門の譜面で練習してました。
ある日、ラジオの「ゴールデン・ジャズ・フラッシュ」で流れました。
「ジョンコルトレーンの演奏でジャイアント・ステップスです。」
超速です。
「なんぢゃ、このテーマの速さは?」
「いったいソロはどうなるんぢゃ!」
ソロになります。
「な、なっ、なんだ、これは?」
「バカモン!レコードの速回しすんな!」
信じられませんでした。
「コピーするしかない!」
こう思う私も私ですが・・・譜面にしてコピーをし始めました。が、所詮無理です。テナーだって難しいっていうのに鍵盤じゃあ・・・指が転がって出来やしないです。
まあ、やれるとこまでやりました。
1983年
17歳(高3)
オスカー・ピーターソンをテレビで観る
すっかりジャズ好きになった私は、テレビでジャズの番組があると見ていました。ライブ・アンダー・ザ・スカイ、斑尾ジャズ・フェスティバル、などを見ていました。ハービー・ハンコックのVSOPのライブも見ましたが、さすがにこれはジャズ聴き始めの私にはおもしろくありませんでした。
ある日、JATPのライブがテレビで放送されました。曲はアンディサイディッドです。メンバーは、
「おじいちゃんばっか」
・・・申し訳ない。今思うと豪華なメンバーです。クラーク・テリー、ハリー・スィーツ・エディソン、J.J.ジョンソン、アル・グレイ、エディ・ロックジョー・デイビス、ズート・シムス、ジョーパス、ニールス・ペデルセン、ルイ・ヘイズ、いやあ豪華豪華です。
そしてピアノを弾いていたのが、ジャズ界の
「巨大デブちん」
・・・ったく失礼な!・・・いやぁ、当時はそう思ったもんです。なんで「あんなの」が蝶ネクタイしてピアノ弾いてるんだろう、って不思議だった・・・
そう、オスカー・ピーターソンです。なんて楽しいピアノを弾くんでしょうか。これほど楽しいピアノは聴いたことはありません。しかもそれまで見たピアニストと違いニコニコ笑いながら弾いてる。実に気持ちがいいです。ああまたコピーが増える。ジャズってのは困ったもんです。
というか、
「ピーターソンのコピー?!」
(@_@)
これはジミー・スミスやコルトレーンの比じゃありません。よくもまああんなに指が回ること。それに何せあの巨体から出るフレーズですからね・・・彼はあの巨体のため、かつて厚生年金会館の公演でピアノのイスをブッコわしたという話を聞いたことがありましたが・・・それを見たという人に会ったのでこの話は本当でした・・・巨体なら手だって巨大。目いっぱい広げると13度(ドからなんとラまで!)届くといううわさですからね。あたしゃ使えるのは9度までです。彼にとっては「遠い音和音攻撃」や「離れ音攻撃」なんか朝メシ前でしょう。しかもあんなに気持ちよさそうに弾きやがって・・・ああ、困ったもんです。こっちはいくら指が動いたとしても、
「物理的不可能」
が存在します。クソッ!
まあしょうがないですね。できるところまででいいからやりましょうね。
エレクトーンの思い出の曲
エレクトーンというのはピアノと違ってソナタとかハノンとかいうものはありません。いや・・・私は途中からエレクトーンをやり始めたから、他に何か基礎練習のようなものがあるのかどうか知りませんけど。
エレクトーンでは「ラブソング」といわれてる曲をたくさんやりました。あとはポップスが多かったですね。
これは私がエレクトーンで習った曲の中で印象に残っている曲です。私はこの「じみたの歴史」で書いてあるように、歌謡曲やポップスを聴いていた時期はありません。ほとんどの曲は、だいぶ後になってから本物を知りました。
ジャズ屋がこれだけ歌謡曲知ってれば、アコーディオンの横森良造さんになれ・・・ませんね。
1.日本の曲
- あなた
- 小坂明子です。今でも好きです。
- あの日にかえりたい
- 荒井由実です。
- いい日旅立ち
- 山口百恵です。この曲、マイナーの曲なのに結婚式とかでも歌うんですよね。詩がなければそんな雰囲気ではないと思いますが。
- いとしのエリー
- サザン・オールスターズの初期の大ヒット曲です。レイ・チャールズが歌って世界でも有名になりました。私もジャズで演奏します。
- 想い出の渚
- ワイルド・ワンズです。
- 思い出は美しすぎて
- 八神純子です。
- 学生時代
- ペギー葉山です。
- かもめが翔んだ日
- 渡辺真知子です。歌うまいですね。ピアノもうまいですね。
- かもめはかもめ
- 中島みゆきです。でも研ナオコのほうが好きです。
- カリフォルニア・シャワー
- 渡辺貞夫です。こういう曲もやります。
- ガンダーラ
- ゴダイゴです。
- 君といつまでも
- 加山雄三です。
- 君は薔薇より美しい
- 布施明です。布施明ってのは強力に歌がうまいと思います。
- 季節の中で
- 松山千春です。
- クリスタル・シティ
- 大橋純子です。
- 結婚しようよ
- 吉田拓郎です。吉田拓郎っていう人は私は当時全然知らなかったです。
- 心の旅
- チューリップです。
- 幸せの時
- 八神純子です。
- 知床旅情
- 森繁久弥です。こういう曲もやるんですね。
- スーパー・サファリ
- ネイティブ・サンです。当時はフュージョンなんか全然興味はなかったです。後になってメンバーを見ると、本田竹広、峰厚介、川端民生、村上寛・・・はぁ、ジャズミュージシャンじゃないですか。
- 青春時代
- 森田公一とトップギャランです。
- チャンピオン
- アリスです。
- 津軽海峡冬景色
- 石川さゆりです。演歌もエレクトーンではやります。カラオケのバックみたいになっちゃいますけどね。
- てんとう虫のサンバ
- チェリッシュです。
- どうぞこのまま
- 丸山圭子です。といってもいまだに本物は知らないです。
- 遠くへ行きたい
- ジェリー藤尾です。
- 22歳の別れ
- 風です。
- 春うらら
- 田辺雅充・・・ですか?知りません。
- 花嫁
- はしだのりひことクライマックス・・・ですか?よく知りません。
- 花嫁人形
- これは何でしょうか?有名な曲ですが。エルビン・ジョーンズのバンドが演奏してジャズでも有名になっちゃいましたね。
- バラが咲いた
- マイク真木です。
- ふれあい
- 中村雅俊です。いずみたくの作曲ですね。いずみたくってすごいですね。こういう感じの曲から「ゲゲゲの鬼太郎」や「いい湯だな」まで・・・幅広いですね。
- マイ・ディア・ライフ
- 渡辺貞夫です。FMラジオでテーマ曲になってましたね。
- Mr.サマータイム
- サーカスです。
- 夢想花
- 円広志です。とんでとんでとんで・・・流行りましたね。
- 木綿のハンカチーフ
- 太田裕美です。
- ヤングマン (Y.M.C.A.)
- 西城秀樹です。もともとは違うんですよね。ヴィレッジ・ピープルです。
- ルパン三世のテーマ
- アニメのテーマですね。私はアニメはあまり好きでないので見てませんでした。作曲者が大野雄二さんで、しかもジャズピアニストってのを知ったのはだいぶ後になってからです。
- 私のハートはストップモーション
- 桑江知子です。
2.世界の曲
- 愛の休日
- ミッシェル・ポルナレフ・・・っていうんですか。
- 愛はきらめきの中に
- ビー・ジーズです。
- 青い影
- プロコル・ハルム・・・っていうんですか。ても曲は有名ですね。
- 赤い河の谷間
- アメリカ民謡です。
- アドロ
- これはラテンの曲なんでしょうか?ラテン曲集とかに入ってますけど。
- アロハ・オエ
- 有名な曲ですが、これは何でしょうか?
- イエスタディ
- ビートルズです。
- ウェーブ
- ボサノバの有名な曲ですね。アントニオ・カルロス・ジョビンです。
- 宇宙のファンタジー
- アース・ウインド&ファイアーです。
- エーデルワイス
- 「ドレミの歌」で有名なミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の曲です。ってエーデルワイスも有名ですね。小学校で歌ったりしましたね。
- エマニエル夫人
- 映画のテーマ音楽です。
- オー・シャンゼリゼ
- シャンソンでは一番有名な曲ですね。
- オールド・ファッションド・ラブ・ソング
- スリー・ドッグ・ナイト・・・っていうんですか。
- オブラディ・オブラダ
- ビートルズです。
- オリーブの首飾り
- マジックショーのテーマ曲です・・・いや違う・・・ポール・モーリア楽団とかで有名ですね。
- オンリー・ユー
- ニール・セダカです。
- 悲しき雨音
- カスケーズです。といっても私はよく知りません。
- キャプテン・カリブ
- デイブ・グルーシンです。フュージョンですね。
- こいつ
- この曲、曲はよく覚えているんですけど、いまだに誰だかわかりません。
- 恋のナイト・フィーバー
- 映画「サタディ・ナイト・フィーヴァー」の中の曲です。ディスコ音楽は当時のエレクトーンじゃ雰囲気はでません。
- この胸のときめきを
- エルビス・プレスリーです。
- コパカバーナ
- バリー・マニロウです。
- コロラドの月
- これは何でしょうか?民謡ですかね。
- サウンド・オブ・サイレンス
- サイモン&ガーファンクル です。
- サニー
- ボビー・ヘブです。といっても私は知りません。
- 白い恋人たち
- 映画のテーマ音楽です。
- シバの女王
- レイモン・ルフェーブルです。といっても私はよく知りませんが。この曲からするとフランスっぽい感じを出している楽団ですかね。
- シェブールの雨傘
- 映画のテーマ音楽です。作曲はミッシェル・ルグランです。
- シェリト・リンド
- これはラテンの曲なんですか?ラテン曲集とかに入ってますけど。
- 処女航海
- ハービー・ハンコックです。本物を聴いたのはだいぶ後からです。この曲を演奏した当時は全然おもしろくなかったです。中途半端な曲だなあと思いました。
- 知りたくないの
- これはカントリー&ウェスタンですか?「たそがれのワルツ」ともいいます。
- スカボロ・フェア
- サイモン&ガーファンクル です。
- スターウォーズのテーマ
- 映画のテーマ音楽です。
- ストレンジャー
- ビリージョエルです。
- ダイアナ
- ポール・アンカです。平尾昌晃でも有名です。
- ダウン・バイ・ザ・リバーサイド
- アメリカ民謡です。
- チキ・チキ・バン・バン
- 映画のテーマ音楽です。
- チム・チム・チェリー
- ディズニー映画「メリー・ポピンズ」の中の曲です。
- 茶色の小瓶
- アメリカ民謡です。グレン・ミラー楽団などで有名です。
- 追憶のテーマ
- 映画のテーマ音楽です。ジャズでもよくやりますね。
- デイ・トリッパー
- ビートルズです。
- 峠のわが家
- アメリカ民謡です。
- トップ・オブ・ザ・ワールド
- カーペンターズです。
- ドナ・ドナ
- 有名な曲ですが、これは何でしょうか?どこかの民謡なんですかね。
- ドミニク
- スール・スーリール、ペギー葉山・・・ですか?
- 夏の日の恋
- パーシー・フェイス楽団で有名ですが、「避暑地の出来事」という映画の曲です。映画は私は知りません。
- 涙のトッカータ
- これは何でしょうか。ポール・モーリア楽団とかが演奏してます。私は地元のヤマハエレクトーンコンクールのようなものでこれを演奏して優勝しました。
- 日曜はダメよ
- 映画のテーマ音楽です。
- ノルウェーの森
- ビートルズです。
- 80日間世界一周
- 映画のテーマ音楽です。アラウンド・ザ・ワールドです。
- ヒア・アンド・ゼア・エブリホエア
- ビートルズです。
- ビビディ・バビディ・ブー
- ディズニー映画「シンデレラ」の中の曲です。
- ひまわり
- 映画のテーマ音楽です。
- フィーリング
- モリス・アルバートです。ハイ・ファイ・セットも歌ってました。
- 二人だけ
- ボズ・スキャッグスです。「ウィー・アー・オール・アローン」です。
- ブラック・マジック・ウーマン
- フリートウッド・マックです。カルロス・サンタナで大ヒットしました。
- ヘイ・ジュード
- ビートルズです。
- マイ・ウェイ
- フランク・シナトラの代表曲です。
- マサチューセッツ
- ビー・ジーズです。
- マルタ島の砂
- 「ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス」です。これはトランペットのバンドです。ティファナ・ブラスといえば、オールナイトニッポンのテーマ曲「ビター・スイート・サンバ」ですね。
- ミスティ
- エロール・ガーナーです。といってもジャズファンじゃないと知らないですね。ジャズでは超スタンダードです。
- モッキン・バード・ヒル
- 私はよく知りませんが、NHKの「みんなの歌」ですか?その昔パティ・ページで流行ったらしいです。
- ラスト・ワルツ
- 映画のテーマ音楽です。
- ラブ
- ビートルズです。同名のジャズのスタンダードではありません。
- ラブ・ミー・テンダー
- エルビス・プレスリーです。
- ロコモーション
- リトル・エヴァです。後にグランドファンクでも大ヒットしました。
- ロッキーのテーマ
- 映画のテーマ音楽です。メーナード・ファーガソンバンドで有名ですね。